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徳島地方裁判所 昭和45年(ヨ)56号 判決

申請人

岡茂樹

外四名

代理人

藤原周

外一名

被申請人

日本専売公社

指定代理人

片山邦宏

外八名

主文

(一)  被申請人が昭和四五年三月一七日申請人岡茂樹に対してした免職処分及びその余の申請人らに対してした同年三月一八日から六カ月間の停職処分について、その効力を仮りに停止する。

(二)  被申請人は右申請人らに対し昭和四五年三月一八日以降毎月二一日限り、別紙賃金表各該当欄記載の手取額または基本給不足分を仮りに支払え。

(三)  申請人らのその余の申請を却下する。

(四)  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、申請人らの求める裁判

(1)  被申請人が昭和四五年三月一七日、申請人岡茂樹に対する懲戒処分としてした免職処分について、その効力を仮に停止する。

(2)  被申請人が前記同日申請人大田正、同近藤匡徳、同宮本吉一、同板東悟に対する懲戒処分としてした昭和四五年三月一八日から六カ月間の停職処分についてその効力を仮に停止する。

(3)  被申請人は申請人らに対し昭和四五年三月一八日より申請人らから被申請人に対する懲戒処分無効確認請求事件の判決確定に至るまで毎月二一日に、別紙賃金表記載の手取額または基本給不足分をそれぞれ支払え。

(4)  被申請人は申請人らが別紙目録記載の工場に立入つて就労し、または組合活動をすることを妨害してはならない。

二、被申請人の求める裁判

(1)  本件申請を却下する。

(2)  訴訟費用は申請人らの負担とする。

第二、当事者の主張〈以下省略〉

理由

一、次の事実は当事者間に争いがない。

1  被申請人は日本専売公社法にもとづく公法上の法人であり申請人らはいずれも被申請人公社に雇傭され、その徳島工場に勤務する製造職員であること。

2  申請人岡、同宮本、同板東の三名は昭和四四年一一月一六日東京都においていわゆる佐藤首相訪米阻止デモに参加し、逮捕され、ひきつづいて二〇日間勾留され、申請人岡、同宮本は一七日間、申請人板東は一四日間欠勤したので、被申請人は同年一二月二八日右三名のデモ参加、逮捕された行為ならびに長期欠勤が公社法二五条、就業規則四条ないし六条に違反するとの理由で第一次処分(すなわち、申請人岡につき停職三ケ月、同宮本、同板東につき十分の一減給三ケ月の各懲戒処分)をした。また、被申請人は申請人近藤についても、別途、正当な理由もなくしばしば無断欠勤、遅刻、早退があることを理由として昭和四五年二月一一日以降三ケ月間十分の一の減給処分をしたこと。

3  いずれも反戦青年委員会の一員である申請人らは右第一次処分を不当としてその撤回闘争をすすめることになつたが、所属労働組合は申請人らに対し、第一次処分撤回闘争をしない旨通告してきた。このような場合被申請人公社には苦情処理機関として苦情処理共同調整会議が設置されているが、申請人らはこれを利用しなかつたこと。

4  よつて、申請人らは昭和四五年二月七、二八日、三月七日の各土曜日に本件反戦グループの者とともに(全員で一一、二名)第一次処分の撤回を求め、あるいはこれに派生して発生した被申請人岡の写真撮影に抗議するため地方局構内において無許可でビラを配布し(社内取締規程により公社内でのビラ配付は許可制になつている)、集団で地方局庁舎に入つたこと(但し申請人大田は二月二八日の抗議行動には不参加)。

5  これに対し、被申請人は申請人らが右の三日間(申請人大田は二月七日と三月七日の二回)地方局構内において無許可でビラを配布し、構内をデモ行進し、庁舎に乱入し、とくに申請人岡は二月二八日職員課長の胸を突き、他の職員にヘルメツトを投げつけるなどの暴行をはたらき、申請人大田は三月七日庶務課長らに対し暴行し、負傷させ、また退去命令書を奪い破損したことを主たる理由とし、また申請人宮本、同板東は前記第一次処分に付され、申請人近藤は前記減給処分に付され、それぞれ将来を厳重に戒められているにもかかわらず右各行為を行つた事情も付加して(なお、申請人岡の一次処分は六九条処分であるから、同条一号の該当性はない。乙第二号証参照)、昭和四五年三月一七日申請人らを本件懲戒処分(すなわち、申請人岡につき免職、その余の申請人らにつき停職六ケ月の各懲戒処分)に付したこと。

6  本件懲戒処分当時申請人らは別紙賃金表記載の賃金の支給を受けてきたものであり、被申請人は右処分により、申請人岡に対しては全額、その他の申請人らに対しては停職期間中基本給の三分の一の賃金しか支給しないことになること。

二、、そこで、被申請人が申請人らに対してした本件懲戒処分の当否について検討する。

〈証拠〉を綜合すると次の事実が証明せられ〈証拠判断省略〉。

(一)  申請人ら反戦グループの者(一一、二名)は前記第一次処分を不当として直ちに抗議行動を起こすこととしたが、昭和四五年一月五日労組が右処分の対象となつた申請人岡、宮本、板東の所為は組合の正式の機関決定によるものでないから、組合としてはその処分撤回闘争はしない旨申請人らに通告してきたので(このことは争いない)、やむなく反戦グループ独自の立場で撤回斗争を行うことになつた。

(二)  そこで、まず申請人らは同年一月に入り抗議の意思表示として不当処分を撤回せよと記したゼツケンをつけ就労し、あるいは立看板を立て、また徳島工場でビラを配布し、さらに徳島工場長、同工場包装課長、原料加工長らに要望書、誓約書公開質問状等の文書を手交して処分の不当性を訴えた。

(三)  次いで、申請人ら反戦グループの者は懲戒権者である徳島地方局長榊原春義(管内従業員約一、五〇〇人の最高責任者)に対し直接第一次処分撤回の件につき面会を求めるべく、昭和四五年二月七日、地方局に赴き、(申請人らの勤務する徳島工場とは別の場所にある)同日午前八時五分ごろから同四五分までの間、地方局正門附近(正門の近くにある築山の西側)で「処分白紙撤回、工場新改築、二交替を紛砕せよ」との趣旨のビラを出勤してくる職員に配布したが、そのさい地方局職員課長加藤からの再三の配布中止があつたのに容易にこれを受入れなかつた。次に、午前九時五〇分ごろ申請人ら五名を含む本件反戦グループの者一一名はヘルメツトを着用し、(一名はいわゆる反戦旗を携え)シュプレヒコールをしながら地方局構内をデモ行進した後、庁舎に入り、その勢いに驚きこれを阻止すべく飛び出してきた職員課長らを押しのけ、一〇名前後の者が右庁舎二階の局長室に庶務課長らの制止にかかわらず侵入した。当日はたまたま局長不在であつたので、職員課長は直ちに退去するよう求めたが申請人ら右グループの者はこれを聞き入れず、第一次処分の不当性を主張し、局長宛の文書の受領を迫り、その間局長室は騒然とした状態であつた。加藤職員課長課長は受領の必要なしとして一たんこれを拒絶したが、右文書を預れば申請人らが局長室を退出するというので結局申請人らの持参した文書を預ることとなり、申請人らは午前一〇時一五分ごろ退去した。

(四)  申請人ら反戦グループの代表者である宇野由子は同月九日加藤職員課長に前記局長宛文書について回答をもらいたい旨の電話をしたが、加藤課長は右文書は局長に取継ぐつもりで預つたものではなく、また右文書の内容は第一次処分について交渉を求めているが、地方局と組合との交渉というルールによらないで、個々の従業員と直接交渉する考えはない旨伝えた。そこで、申請人岡、同近藤、同板東他数名の者は同日夜たまたま局長が監督者訓練会議後の懇親会に出席中であること(局の寮設備である烟翼荘)を突きとめ、とにかく直接局長に面会せんものと考え、同所に赴き、突然局長のいた部屋に入り込み、また、その後も、本件反戦グループの者は勤務時間外に局長の社宅に直接あるいは電話で面会を求め、社宅壁に処分不当を訴えるビラを貼り、あるいは右社宅附近で第一次処分反対のシュプルヒコールをするなどの抗議活動を行つた。このようなわけで、結局申請人らは二月一八日頃局長宅で局長と面会し、翌日頃地方局で面談の約束をとりつけ、その日頃夜約二時間にわたつて一次処分に関し交渉したが、双方の見解は対立のまま物別れとなつた。

(四)  ついで二月二八日、申請人大田を除くその他の申請人らを含む本件反戦グループの者八名はなおも第一次処分の撤回につき局長と交渉をもつべく地方局に出かけ、まず最初、前回同様ビラ配布をしていたが、そのさいその状況を庁舎の二階から写真撮影されていることを察知した宇野由子は右写真撮影が不当であることを職員課長に抗議したが容れられず(被申請人管理者側で写真撮影を行つたことは当事者間に争いがない)、右八名は、協議の結果、一次処分撤回要求のほかさらに右写真撮影にも抗議し、フィルム返還を求めるため午前九時ごろヘルメットを着用して庁舎内に入り二階にある職員課へ行こうとしたところこれを阻止しようとする職員課長を含む地方局職員と二階への階段を昇りつめたところで対峙する恰好になつた。この時申請人岡は同人の面前にいる加藤職員課長の胸部を手で三回突いた(但し、その程度は連続的であるがそれほど強力なものではなかつた)。右のような状態でフイルムの返還等についてやりとりを交しているうち、地方局の職員西尾昇が右状況を写真撮影したことから、前記反戦グループの者は激昂し、右西尾を追いかけた。その際、申請人岡は逃げる西尾をめがけて自分が着用していたヘルメットを投げつけ、これが隣にいた庶務課員紅露義照に当り、はねかえつて同課員河野好弘にも当つた。その時の状況は双方入り乱れて相当混乱した状態であつた。その後再び職員課前廊下で写真撮影、フイルム返還問題について紛糾し何ら収拾するところがなかつた。一方、宇野由子は一人で総務部長と右の問題で話合つたが物別れに終り、そうしているうち、申請人ら本件反戦グループの者は右廊下に座り込んだ。午前一〇時四八分になつて職員課長は座り込んでいる者に対して局長名の退去命令書を読み上げたが申請人らはそれを無視して座り込みを続けた。その後職員課長と話合いの結果、二、三日中にフイルムの内容を検討し、それが違法行為を撮影したものでなければ返還するとの合意に達し、申請人ら本件反戦グループの者は午後一時すぎようやく地方局から退去した。

(六)  その後地方局では三月七日にも本件反戦グループの者が押しかけてくるとの情報を得、前日その対策を協議し、面会の強要や不測の事故に処するための準備として警告班、現認班、連絡班を組織したところ、三月七日、申請人ら五名を含む本件反戦グループの者一一名は三度前記フイルム返還、第一次処分撤回を求めて二月七日、二八日同様ビラを配布し(「労務担当能力ゼロの加藤さん」等と題されたビラ)、構内をデモ行進ののち、午前九時ごろ地方局職員の阻止にもかかわらず庁舎内への侵入を図つたが果さず、二回目の突入で庁舎内一階階段下まで入つたが武山庶務課長が退去命令を読み上げたところ庁舎外に退去した。そして申請人ら反戦グループの者は再び三回目の突入を試み、今度は右階段昇口附近で押し合つた後、阻止班を突破して二階に上り、庶務課前西北角廊下で写真撮影に抗議し、フイルムの返還を要求しつづけた。しかし、当日は局長、職員課長とも不在であり、また前もつて右課長からフイルム返還について当日の責任者に何らの連絡もなかつたので、当日主として本件反戦グループとの折衝に当つてい武山庶務課長は収拾をつけることができず、再度局長名の退去命令を途中まで読み上げたが、そのさい申請人大田が後記のような行為に出たため読み終ることができなかつた。しかし、そののち、庶務課長は出張中の職員課長に電話連絡をし職員課長は三月九日にフイルム返還の件につき宇野由子に対し電話をするとのことである旨伝えたところ、右宇野らがこれを再確認して申請人らは午前一〇時すぎ退去した。

申請人大田は右三回目の庁舎侵入後一階の階段昇口附近で職員課員明神孝友の胸倉を掴み「組合員のくせに」等といつて詰め寄り、また同所附近で武山庶務課長の背広の襟をつかみ、玄関ロビーの掛時計の所まで約三メートル押して行き、そこで写真のことにつき難詰したところ、井沢広文主任が右大田の手をふりほどいた際その手が井沢の口唇に当つた。また申請人大田は二階廊下において庶務課長がプラカードに貼付した退去命令文を読み上げているとき右プラカードを手で払い落した。この時は申請人ら反戦グループと管理者側はもみあい状態で混乱していた。この結果、武山と井沢はそれぞれかすり傷を負つた(いずれも加療三日間程度)。

以上の事実が疏明せられる。

以上の事実関係によれば、申請人らの一連の行動分うち、三日間にわたる地方局庁舎の出入口や内部での所為(申請人大田は二月二八日は不在)は、反戦グループとして一次処分の撤回とこれに派生する写真撮影に対する当局への抗議を目的とするもので、それはそれなりにその動機目的を理解できないわけではないが(後に説示する)、その行つた客観的行為自体は一言にしていえば庁舎乱入行為であり、その場所、態権、程度、回数等に照らし専売公社職員(または労働組合員)として許容しうる程度を超えたもので、社内の秩序を乱し、職員たるにふさわしくない所為であることは疑いを容れないところであるから、申請人らはいずれも申請人らを覊束する日本専売公社法二四条及び日本専売公社職員就業規則六九条九号(なお同規則五条、社内取締規程三〇条も参照)による懲戒処分を免れない。

申請人らは、申請人らの本件所為の正当性を主張するけれども、本件懲戒権の行使自体に主張のような違法のかどは見受けられない。申請人らの主張によれば、本件抗議行動の発端は東京での佐藤訪米阻止デモ参加に対する一次処分の不当性にあるのであり、その不満自体首肯できる点があり(後記)、まして、頼む労組もこの種労使問題における従来の例に反し、その撤回斗争にくみしなかつたというのであるから、申請人らとしてはいわば孤立した立場に追い込まれ、しかも、同人らは一定の社会正義感(この意味自体甚だ多義的かつ相対的ではあるが)に基き、今回の処分を反戦グループ労働者に対する不当弾圧と信じて疑わなかつたのであるから(このことは当裁判所に顕出された反戦グループ作成の多数のビラの内容や申請人らの供述により明白)、このような観点からみると、当局の態度に不誠実を感じたのであろうことも理解するに難くない。しかし、こと地方局庁舎内出入口での所為に限るとこれは前記のとおりその場所柄、時間、その態様等に照らし、正当性の程度を超えるものというほかない。目的が自己の信条上正当であるからといつて、その実現のためには如何なる手段も許容されるということはできない。

以上のとおりであるから、申請人らの冒頭説示の所為は爾余の関連行為を検討するまでもなく、就業規則六九条九号による免職または停職一カ月以上一年以下の懲戒処分を免れない(なお、二月二八日、三月七日の行動については、無許可ビラ配布行為の写真撮影に対する抗議も派生したが、当局がかかる行為に出たこと自体については後日第三者として論議を尽すべき点があるとしても――現に違法行為がなければフイルムを申請人らに返すことに一応双方の話しもついている――それまでの申請人らの行動すなわち、二月七日の行動やその後の局長宅、烟翼荘での所為等に照らし、また、従来の徳島工場での労使慣行はともかくも、本件ビラ配布が無許可であり、社内取締規程二八条に抵触し、当局も既に再三制止している点等に照らし、当局がその立場上規律違反に思いを致し、前記のような措置をとつたことは、当時の情況として必らずしも一方的に非難できない点があることを考慮すると、前記被申請人側のとつた措置の故に、その後の申請人らの庁舎乱入行為全体を正当化することはできない)。

三、しかし、すすんでその処分程度の相当性について検討するに、(1)申請人岡については、同人は免職の処分を受けたものであるが、前記のような申請人らの三日にわたる局庁舎内と出入口における客観的行動のみをもつて処分対象とする見地に立つときは、申請人らの所為は、本来、共同してしたものであるから、他の者は知らず、申請人らについては原則として同程度の評価を受けるべき筋合であるところ、同人についてのみいわば懲戒に等しい当該企業(または当該特別権力関係)からの排除をもつて問責することは、甚だしく重きに失し違法無効である。被申請人は同人の責任加重事由として同人の日頃の勤務状況が著しく悪かつた点を主張し、〈証拠〉を綜合すると、申請人岡の昭和四三年四月以降四四年三月までの勤務実績は他の同職場の者に比し著しく悪く、昭和四三年八月一〇日には始末書を提出したことまである情況で、一時は自ら退職をしてもよいような意向を洩らしたこともあつたことが疎明せられる。しかし、前記就業規則によれば、かかる所為は規則六九条の処分対象には該当せず、またその加重事由とすべき直接の規定もなく、かえつて戒告または減給を定めた同規則六八条六号または七号に該当するに過ぎないことが明らかであるから、右主張は失当である。(2)次に、申請人宮本、同板東については、同人ら及び申請人岡、同大田が、これより先前記東京でのデモに参加し、大田を除く三名が公務執行妨害罪等により逮捕勾留されたこと及びこれがため大田を除く三名が本件一次処分を受けたことは当事者間に争いがないところ、被申請人公社が右両名の本件処分にさいし、右一次処分にかかわる所為ある一つの理由として加味していることは同人らの今回の処分辞令書や被申請人の本訴における主張に照らし明らかである。しかし、一般に、同人らが国民として思想表現の自由を有し、企業外における政治活動の自由を有することはもちろん、企業外の私生活について何らの拘束を受けないことも多言を要しないところであり、さらに例え企業外において社会的非行ないしは犯罪行為がなされたとしても、そのことだけで直ちに懲戒処分に付することは、それが専ら当該企業内の秩序の維持、当該企業の信用維持等にのみ由来する権限で、国家の刑罰権とは異り、これを超えることができない点に思いを致すと、許されないことである。いま、同人らの所為が如何なる評価を受けるかは別として――本件は一次処分の当否を判断する訴訟ではない――本件に提出された疎明によつてみても、果して同人らの所為が本件処分の一つの理由ないしは処分程度の加重事由となるとはにわかに速断し難い〈証拠〉によつても、(1)必らずしも同人らの当日の行動は詳らかでない点もある。(2)また、当時新聞で同人らの行為が報ぜられたことも、直ちに企業内秩序信用と関係づけることも、同人らが単純な現場労働者であることに照らし、困難である(この点は岡についても同様)。(3)現に昭和三九年の佐世保での原潜寄港阻止デモ(大田)、昭和四三年の徳島での樺美智子追悼集会デモ(大田他三名)で逮捕勾留され、新聞報道された場合は不問に付された。以上のことが窺われる)。してみると、前記宮本、板東の処分程度は右事情を考慮した分だけ加重であるといわねばならず、この点において重きに失し違法無効である。(4)また、申請人大田、同近藤については、同人らを停職六カ月に処せられたものであるが、同人らの本件行動が前記両名のそれより非難性が大であるとの特段の事情も認め難いので本来、前記両名と同程度の処分に付されるべきが公平にして正当であるから(大田の場合は、三月七日の庁舎内でのもみあいのさい判示(6)のような他の者に比し過激な所為に出たことは認められるが、他方、同人は二月二八日の行動に参加しておらないから、前記のような個々人の客観的行為問責の立場からすると、この点も彼此勘案すべきものである)、結局、同人らの処分も重きに失し違法無効であるといわねばならない。

四、よつて、申請人らの申請中、本件懲戒処分の効力の仮りの停止と賃金の仮り払いを求める部分を正当としてこれを認容し(保全の必要性は各本人尋問の結果により疎明せられる)、就労、組合活動妨害禁止の仮処分を求める部分は、その保全の必要性の疎明を欠くからこれを却下し、申請費用の負担につき民訴法九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。(畑郁夫 葛原忠知 岩谷憲一)

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